堀江の勢力は大きく3つに分けることができる。それは、「1.原住民系」「2.脱アメ村系」「3.東京資本系(一部大阪大バコ系も含む)」となるのだが、それぞれの思いと影響力が今、堀江に大きなうねり(光と影)を引き起こしている。この分類は堀江の歴史に繋がる部分であり、このコラムを進める上でも非常に重要な要素なので、まずはそれぞれの解説とそのバックグラウンドについて述べさせていただきたいと思う。
現在の住居表示で堀江と名が付くのは「北堀江1〜4丁目」と「南堀江1〜4丁目」のみである。これは南北を道頓堀川と長堀通り、東西を阪神高速環状線と木津川に囲まれたエリアであり、長堀通りと阪神高速環状線の場所が元々は河川であったことを思えば、「堀江」の名の由来は想像に難くない。さて、その堀江、江戸時代は前述のような立地と一大マーケット「心斎橋」を目前に控えていたことから、材木の取り引き場所として問屋や家具屋が集まっていたらしく、その名残りは北堀江の材木問屋街と南堀江の家具屋街(立花通り)に息づいている。その後、堀江は花街としての顔を持つようになり、非常にステータスのある場所として認知されることとなる。(今でも北堀江に数軒、舞台を残した家屋が残っている) この頃から徐々に住宅地としての顔も持ちはじめたようで、昭和の時代には堀江市場(堀江公園南に今も現存)がオープン、連日買い物客で賑わったという。「原住民系」とは、その時代から堀江に店または居を構えていた先人の二代目、三代目といった人たちである。いわば本当の堀江を知り、堀江を心から愛して止まない人たちなのだ。<2000/11/01> |
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